私のけけけ

アラフォーでセミリタイア生活開始。自分軸で暮らす楽しさを綴ります。

敏腕セルフプロデューサー 藤田嗣治

東京ステーションギャラリーで開催されている『藤田嗣治 絵画と写真』展に行ってきました。

実は私は彼の描く絵は好きではありません。

でもこのポートレイトを見ればわかる通り、一風にも二風にも変わった出たち、、、それが「一体この人何者!?」という興味を掻き立てられます。(そしてそれは、写真を使った藤田のセルフプロデュース戦略にまんまとハマった結果だとこの展覧会が教えてくれます^^;)

画家としては珍しく、パリに渡った20代から早くも成功し、80代までモチーフを変えながらもずっと「第一線」で活躍した藤田。

画家になれても、画家であり続けることが難しい世界。

こんな変わった風貌でどう渡り歩いてきたのか、何を考えていたのか?、、、それが私の彼に対する関心です。

展覧会は「彼と彼の絵画に写真がどのような影響を与えたか」について検証されており、今までにないアプローチで面白かったです。

特に今回初めて知ったのですが、彼は「短編映画」を撮っていました。それは彼が一時帰国していた1935年に対外文化宣伝のために政府に委託されたという『現代日本 こども編』です。

実際に展覧会で見られるのですが、それは子供達がチャンバラしたり、獅子舞を見たり、紙芝居を聞いたりするような「日常」を切り取った内容でした。

でもこの内容は政府にとって不服だったようです。

外国に見せたいのは「強い、発展した日本」なのだと。

でも、彼はこう述べます。

「進歩的な近代国家の活動の中でいまだに脈々と続いている伝統的な日本の生活の人間的な温かさを見る人に伝えたい」

もう、驚愕でした。

彼からこんな言葉が出てくるなんて!

本当に人間って見た目で他人をジャッジしてしまうなと思うのですが、あんなエキセントリックな格好でフランス人の女性と3度結婚・離婚(ちなみに日本人とも2度結婚)し、絵画のスタイルだってなんというかロココ調な日本人離れした感じだから、まさかそんな民俗学者が言いそうな言葉とリンクしないのです^^; 

これも彼の戦略なのか!?なんて、どっぷりハマっている私は身構えますが、良いじゃないか、ハマったって。こんな素敵な言葉が聞けたのだから・・・。

(ちなみに、民藝を唱えた柳宗悦との2ショット写真もあったので何かしら影響を受けているかもしれないですね)

 

・・・ステーションギャラリーの素敵な踊り場で一息・・・

今回この展覧会に行く前に、昔の『芸術新潮』の藤田特集を引っ張り出して読み直しました。

7年前の雑誌で内容はほぼ忘れていたので良い機会でした^^;

その中でも1949年にNY滞在中の藤田がNY滞在の許可がおりた妻の君代と合流するまでに書いた日記の内容が印象的でした。

そこには子供は望まず、むしろ「夫婦愛」の方を重要視していたことがわかります。

"私は夫婦愛と言ふものを一番に挙げたい。老夫婦の仲睦まじい程見る目も美しい。昨夜も映画の観客で老夫婦が頭を付け合って腕を廻はして何時間も抱いて見て居て動かなかった。本当に羨ましかった。"

日記という極めて私的なものだからか、文章だけでもその思いがストレートに伝わります。

そう、本当に羨ましかったのだろうと。

結局、5番目で最後の妻、君代とは生涯を終えるまで添い遂げます。

卓越したセルフプロデュースが裏目に出て誤解を招いたことも多々あったでしょう。

人間的な温かみを欲し、でも最終的にはそれを手に入れた藤田。

やはり一個人として興味が尽きない人だと思いました。