久しぶりに見たやましたひでこさんの断捨離番組。
依頼者の50代の女性は愛犬を失った寂しさから購入した、食器や衣類などの犬グッズを溜め込み、さらに生活は再び飼い始めた2匹の犬が中心。そんな暮らしで心が満たされるはずが、どうも家にいても落ち着かなく、夫婦の会話も少ないという。
元々この女性は若い頃にお母様を亡くされており、どうやらそこから「寂しさを何かで埋めたい」という心理が生まれたようでした。
旦那様、犬達、犬グッズ・・・。
それでも満たされない。終始、女性の表情がその欠乏感を物語っているようでした。
番組では旦那様の協力もあり、夫婦ファーストの暮らしができるようにお家をスッキリさせて、めでたしめでたし・・・とまとめておりましたが、おそらくこの女性の葛藤はまだ続くのだろうな、と思いました。
それは最後のやましたさんのコメント「寂しさはモノ・ヒト・ペットなどの何かでは埋めれなく、自分自身が埋めるもの」がこの女性が抱える問題の核心を言い得ていると思うからです。

自分ではないものを自分がコントロールすることはできないですし、自分ではないものも時の経過につれて変わっていくのだから尚更、制御不能。
だから、その時その時の自分を見つめて「こうしたい」「ああなりたい」気持ちを探り、それに向けて行動をする、、、その繰り返しが自分を満たすのだと思います。
その過程で上手くいかない時、それは「満たされない」気持ちになるでしょう。
こうしたい、ああなりたいという願望が「満たされず、この先が不安」だという感情です。
もしかすると、依頼者の女性が言う「寂しい」は「満たされない」「不安」という表現の方がしっくりくるのかもしれません。
それでも、上手くいかないなら別の方法を試したり、そこから学んだことを新たな目標に生かしたり、それだけでも前向きなパワーで充実するし、もちろん上手くいけばそれは間違いなく自己充足感に浸れるでしょう。
そしてそれをやるのも感じるのも全て、他ならない「自分」です。
「自分」以外に誰がこんな大変なことをやってくれるか〜!って思います^^;
自分の経験から思うことをつらつら書いてしまいました。
自戒の意味も含め、久しぶりに考えさせられる良い内容でした。
断捨離ってモノを捨てるだけではない、生き方を考えさせてくれる素晴らしい概念。
改めて実感いたしました^^