芸術の分野で「余白」の重要性が語られることが多いかと思います。
絵画だったり、広告デザインだったり、写真もそうですよね。
余白があることで他が生きる、みたいなことだと素人は捉えておりますが、今回お話したいのは時間の余白です。
まぁ大それたことを書きたいわけでなく「時間の余白がないと小忙しいですよね」というごく当たり前のことなのですがね・・・^^;
私は決められた時間にこれをしなければならない、という縛りのないセミリタイア生活をしているのですが、確かに時間の余裕はあります。
でも、時間に追われることがあります。
なぜって?それはやりたいことを1日に詰め込みすぎるからです。
いくら時間に余裕があるといっても、8時間睡眠や3食自炊の時間を確保するとなると1日の自由時間は減るわけで、だから残った時間で読書なり、洋裁なり、やりたいことをしようと思えば、1日1つが大原則なのです。まして1日の大半が取られるようなお出かけともなれば、夕飯の準備をしてからが条件です。
その大原則を破ると余白の時間に影響します。

その余白の時間、私は夕食後と風呂後から寝る前に合計して3時間くらい設けているのですが、本当に特に何をするわけでもないのです。
むしろ意識的でない方が良いのです。
もう1日の終わり頃だから頭だって働かないのです。
だからネットサーフィンしたり、既に見たり聞いたりしたことのある動画やラジオなどがお供ですが、この一見非生産的な行動がとっても大事なのですよね。
以前、大原則を破ってこの余白が3分の1に圧縮された日があったのですが、まぁ眠れない。
神経がずーっと昂っている感じ。
ようやく寝れたと思っても途中覚醒して1時間寝付けず、なんてことがありました。
いうまでもなく、次の日のスタートにつまずき(=遅く起きてしまう)、悪循環の入り口に片足を突っ込んでしまいました。
セミリタイア生活は自由時間が豊富なので、家事のルーティンを組み込むことで生活リズムが崩れないように気をつけてはいます。
でも、アレコレやりたい欲だったり、何か爪痕を残さねば(=今日はこれをしたという実績)という強迫観念に囚われて余白の時間を削ってしまうとせっかくの努力が無駄になる可能性が出てしまう。バランスが難しいのです。
とはいえ、余白の時間だけは死守しなくては、なのです。
そうなると結局自由時間が減ることになる。
・・・
人間、どんな状況下でも時間には追われる運命なのかもしれません苦笑