先日外出先でふと目にしたのですが、個人で経営されているらしい飲食店のシャッターがおり「店主が骨折したため休業」と貼り紙が出ていました。
おそらく店主の方一人が調理を担当されているのでしょう。
これを見た時になんというか、血が通った人間の営みを感じました。
店主の生活とか、家族とか、今どんな気持ちなのだろうか、とか考えちゃいました。

私は余程のことがない限り、外食するとしたらチェーン店か大規模でなくても雇われ店長がいるようなお店に入る事が多いです。
だからお店に貼り紙があっても、それは閉店のお知らせか年末年始の営業予定とかであり、店主の体調不良で休業など見たことがないことに気がつきました。
そりゃそうですよね。
そういう運営形態だと、必ず「代わりの人」がいるのですから。
内部で調理者が変わっても客側は知る由もなく、いつも通りに営業の看板を掲げられます。
でもそうなると私が見ていたのは看板であって人ではなかったのだと。
人ではなく提供されるサービスの内容を見ていたのだと。
皮肉なもので代わりがいない個人経営者の休業を見て改めて「人」の存在を感じたというわけなんです。
なんとそれほどまでに私は無機質というか、人の顔が見えないことに慣れているのだなと感じずにはいられない^^;
決して飲食店に人感があるかどうかについて、良し悪しを言っているのではないです。
単に自分がシステマチックな仕組みに慣れすぎていたことに驚いたのです。
ボタンを押せば自分の思い通りの反応が出てくる生活。
便利で効率的だけど、、、それと引き換えにしたものを考えてしまう。
人ってロボットじゃない。
どんなに組織化して人の顔が見えづらくなっている社会でも「人」を感じていたいなと。
そうしていると自分が優しくいられる気がするのですよ。